【美容】WEBライターの徒然日記【育児】

WEBライターとして在宅で働く主婦のブログ。主に仕事の話を中心に、美容、健康、育児、ライフスタイルなど気ままに書きつづります。お仕事のご依頼はrenairi06@yahoo.co.jpまでお願いします。

「女子中学生2人の手つなぎ自殺」はなぜ起きたのか、悲しい結末を防ぐための友達との付き合い方

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前回、5月病の記事を書きましたが、

やはりどうにも気分がコントロールできません。

わけもなく気分が滅入る時間が多く、筆が進みません(言い訳)

 

renair.hatenablog.com

 

先日、女子中学生2人組が自殺したという報道がありましたが、

これには、かなり衝撃を受けました。

まだ幼いとはいえ女児の母として、子どもの自殺について

考えさせられるものがあります。

 

この症状たちの自殺も、時期特有のメランコリックな気分が

引き金になったのでしょうか。

www.sankei.com

 

いい大人の私でも、気分のメリハリをつけるのが難しく感じるのに、

最も神経が過敏な時期であろう少女たちには、

きっと耐え難い苦しみがあるのでしょうね。

 

不幸な人生も自分にとっては、それがスタンダード

 

私は結婚するまであまり平穏な人生を過ごせなかったので、

多少は、少女たちの闇を理解できる気がします。

当時は生きる意味なんて見出せなかったですし、

将来にも不安しかありませんでした。

 

でも、自分にとってはそれが人生のスタンダード。

周りにとっては平凡な世界でも、

私からするとキラキラ眩しくて、決して手の届かないものでした。

だから、現実に絶望するというより、仕方がないといった感覚で。

 

不幸に慣れるというのは残念なものですが、

どんな環境も慣れてしまうんですよね。

というか、慣れないとやっていけないから順応しているのでしょう。

 

だから、結構つらくても人は生きていけると思うんです。

多少過酷だろうが、ヘビーモードな人生だろうが。

でも、怖いのは「不幸のパートナー」を見つけたときです。

 

不幸は共有しちゃダメだ、壁をつくる勇気も必要

 

ありがたいことに、私の周りの友達は、幸せな人が多かったです。

あくまでも、私の目から見ての意見なので、

当人たちはそれぞれ何かを背負っていたでしょう。

 

なかには、闇深さを抱えた人もいましたが、

そういう人とは自分から距離を置いていった気がします。

当時は無意識でしたが、多分避けていたのでしょう。

 

これは、楽しくなれる友達と一緒にいたかったから。

私にとって、友達は楽しい時間を共有してくれる大切な存在。

自分の闇だけで精一杯なのに、友達の闇まで面倒見れません(笑)

かなりエゴなヤツですが、このスタンスが正解だったと思います。

 

愚痴を聞いてもらったり、悩みを打ち明けたりすることは

大切ですが、打ち明けられた相手に心のゆとりがなければ、

相手も共倒れしちゃうんですよね。

 

だから、不幸を共有して互いに慰め合う関係が深まってしまうのは、

とても恐ろしいことなのです。

今回の少女たちの自殺は、

その延長線上の悲しい結末だったのかもしれません。

 

話を聞いていて深入りしちゃいそうだったり、

聞いていてつらかったりする場合は、

勇気を持って断ることが大事なんです。

 

相手が自殺しそうで見捨てられない?それ本当?

 

友達の悩みを聞くのがストレスでも、

拒否をすると相手が自殺してしまわないか不安という人も多いでしょう。

 

私もそんな悩みを抱えた時期があります。

結果的に、その友達とはやはり離れました。

本当に怖かったですけど、私にとって必要な選択でした。

 

自分の行動のせいで、友達が死ぬかもしれないと思うと、

相手を拒むのは大変恐ろしい行為と感じるもの。

しかし、その恐ろしさは自分が罪を免れたいからではないでしょうか。

 

これは極論です。

もちろん、本当に相手を思っての人も多いでしょう。

でも、自分の責任を感じずにはいられないのでは?

 

不幸は往々にして人を巻き込みます。

深い打ち明け話をされてしまうと、

その不幸はずしりと重くのしかかります。

その重さのぶんだけ、責任の重さに感じるのです。

 

「怖くて友達を見捨てられない」

もしそんな人がいるなら、私はその人のほうが心配です。

どうか自分を大切にしてください。

 

拒絶じゃなくて、少し離れたところから支えて

 

重く感じる友達を見捨てろとは言いません。

それは相手も自分も不幸にするでしょう。

拒絶はするのもされるのもつらいものです。

 

だから、「壁」をつくるんです。

これ以上は受け入れられない、話を聞けないという壁を。

 

壁というとネガティブに捉えがちですが、

決して悪いものではありません。

自分の領域を守るための塀といった感覚なら

わかりやすいでしょうか。

 

踏み込んではいけない領域は誰にでもあるもので、

そこに踏み込まずに少し離れたところからサポートするのが理想的です。

 

もちろん、壁をつくられた友達は傷つくでしょう。 

けれど、相手もその傷を乗り越えて成長します。

そして、人との距離のとり方を学んでいきます。

「これ以上言っちゃダメなんだ」

「ここまでは聞いてもらおう」

そんなふうに人間関係を上手に育めるようになるでしょう。

 

最悪のパターンを恐れるよりも、

自分と相手のために、壁は必要だと理解することが大切です。

すると、きっと壁は悪いものじゃなく、

欠かせないものなのだと感じられるはず。

 

そして、一番大切なのは、

透明な壁の向こうから、笑顔で接すること。

この笑顔がなければ、相手は壁でなく、拒絶と受け取ります。

 

相手を支えたい気持ちは、清らかな感情です。

その気持ちを誠実に向けていれば、きっと理解してくれます。

 

人生の責任は自分だけで、友達とはポジティブな関係を

 

たとえ友達が変えがたい環境で苦しんでいて、

自分がどうにか助けてあげたいと思ったとしても、

できることはわずかなものです。

 

その友達の人生は、その人自身のもの。

背負えるのは、親と結婚相手だけです。

いかに不幸な人生を背負っていても、

それを背負えるのは本人とごく身近な人だけなのです。

 

友達を助けたい人は、どうか壁を大切に。

自分が不幸と感じている人は、少し友達の心中も考えてみて。

 

お互いが、友達の幸せを願うことで、

きっとポジティブな関係を築くことができるはずです。

 

大人たちは、このことを子どもたちに伝えていくべきではないでしょうか。

この年代の子どもはきっと、親に相談するのが難しい年頃でしょう。

だから、友達との付き合い方をきちんと教えてあげることが

本当はとても大切だと思うのです。

 

こんな痛ましい結末が二度と起こりませんように。